高知の近現代詩は1920年代後半、岡本弥太らの同人詩誌「ゴルゴダ」「麗詩仙」「青騎兵」などで始まった。
1930年代に入り、槇村浩、田村乙彦らを中心とするプロレタリア詩人たちも、ファシズムに抗する良質の詩をうみだした。
同時代、片山敏彦、上田秋夫のロマン・ロランとの交遊、主知的な評論、翻訳があった。
また、大江満雄の四万十川への望郷の詩も忘れがたい。
一方、島崎曙海、川島豊敏、倉橋顕吉は中国東北(満州)で、高知の風土と異風の詩をのこした。


 yata.jpg (1992 バイト)岡本弥太(1899〜1942)

土佐の近代詩確立の中心的詩人。二十歳頃より詩を書き始め、
同人誌の発行、中央詩誌への作品発表、高知新聞詩壇の選者など県内の代表的詩人として活躍。
生前唯一の詩集『瀧』が国内詩壇に高い評価を受け、一躍その名前を知られる。
小学校教員として貧しい生活の中にも、生涯高い詩精神を貫き、「青き霰の高士」「南海の宮沢賢治」と呼ばれた。
人生の深奥に迫る深い思索と、緊張感のある格調の高い詩を書いた。

平成11年度冬季企画展「岡本弥太生誕100年記念展」開催(12/18〜2/13)

 

 akemi.jpg (1795 バイト)島崎曙海(1907〜1963)

教員時代に岡本弥太を知り、その詩風に強く影響を受け本格的に詩作を始める。
二十八歳で教職を辞して渡満、南満州鉄道株式会社に入社。詩誌「二○三高地」「満州詩人」への参加や、詩集『地貌』の刊行など活発な詩作活動を行う。
戦後は詩誌「蘇鉄」の主宰、「日本未来派」同人、詩集の発行など、精力的な活動を行う。
また高知文学学校の講師、高知詩人協会の結成など、その活動は多岐にわたり、行動する詩人として高知の詩運動発展のために多大の足跡を残した。

 

 ooe.jpg (2157 バイト)大江満雄(1906〜1991)

十四歳で上京。印刷会社に勤めるかたわら詩を書き始める。
第一詩集『血の花が開くとき』の発刊や、詩誌「労働派」「プロレタリア詩」の発刊など、プロレタリア詩人として幅広い活動をする。
戦後も、ハンセン氏病患者の詩集編集や、選者、離れキリシタンの研究など、一貫して社会的弱者に温かい目を注ぐ。
キリスト教的思想を基調とした人間愛に満ちた思想的叙情詩を書き、人生派詩人としての評価が高い。

 

 

 katuayama.jpg (2196 バイト)片山敏彦(1898〜1961)

家業の医師となるべく高校に進んだが、ゲーテに魅せられて大学ではドイツ文学を専攻。
やがてスイスにロマン・ロランを訪れその自由な魂にふれ、第二次世界大中には知識人として反戦の姿勢を貫く。
ゲーテ、ヘッセ、カロッサ、リルケ、ロラン等、独仏文学の翻訳と共に音楽、美術に優れた評論を書き、インドやキリスト教に対する宗教的洞察も深い。詩、随想とともに、独自のの画境を水彩画やパステル画に残している。

平成10年度秋季企画展「ヴィジョネール片山敏彦の世界」展開催(10/10〜12/13)

 

 

上田秋夫(1899〜1995) 
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雑誌「大街道」「東方」「生活者」への寄稿、同人たちとの交流という青春時代に続いて、
一年三ヶ月の渡欧生活は詩人の「自存」の道を切り開いた。
スイスに訪ねたロマン・ロランからの薫陶、左翼詩人マルセル・マルチネとの家庭的な交友は上田の長い人生の精神的な背景となった。
日本的な清楚さと西欧の深さに惹かれて、詩作とパステル画にうちこんだ清楚な晩年であった。

 makimura.jpg (2733 バイト)槇村浩(1912〜1938)

本名、吉田豊道。幼時より神童として知られた。
十九歳でプロレタリア作家活動同盟高知支部の結成に参加し、中心メンバーとして活躍。
文学活動とともに日本共産青年同盟に加盟し、非合法反戦活動を行いながら「生ける銃架」「間島パルチザンの歌」などのすぐれた反戦詩を次々に発表。
政治性と熱情に支えられた格調の高いこれらの詩は、日本プロレタリア詩の記念碑的作品として今日でも高く評価されている。
獄中病を得、二十六歳の若さで死去。

 


 

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