平成20年度計画の発掘調査

1. 県土木事務所事務所関係
 (1) 国道195号改築
  士島田遺跡(発掘調査)
 (2) 都市計画道路高知山田線
  ひびのきサウジ遺跡(整理作業)
  伏原遺跡II(発掘調査)
  伏原遺跡I(整理作業)
 (3)県道奥西川岸本線改築
  クノ丸遺跡(発掘調査)
2. 高知県教育委員会事業
 (1) 山田養護学校改築
   原遺跡(発掘調査・整理作業)
 (2) 高知城跡三ノ丸石垣改修
   高知城跡(整理作業)

過去のデータ・・・・・
平成19年度・・・・・・・・・・・・・・・・
高知県土木事務所事務所関係
  (2) 国道195号改良
   士島田遺跡
  (3) 都市計画道路高知山田線
   ひびのきサウジ遺跡
   伏原遺跡II

 

伏原遺跡II

 JRに近接する調査区の調査を始めました。調査の終了した調査区と同様,上面はハンダ土坑を中心とする近世の遺構面でした。拳大の川原石を外周沿いに上から下まで丁寧に配置しハンダに塗り込められており,その労力には驚かされます。今の調査区のハンダ土坑からは砥石が出土するものがいくつかありました。ハンダ土坑ハンダ土坑を埋める時に砥石を入れる習慣があったようです。隣接する西側の調査区で見つかったハンダ土坑からはまったく砥石が出土しなかったこととは対照的です。井戸やトイレなどを廃絶する時の祭祀行為はひろく知られているところです。生活に密接に関連する施設に対する人間の働きかけの一つと考えられます。
 石包丁は現在までに4点出土しており,磨製石包丁1点と打製石包丁3点です。打製石包丁のうち2点は結晶片岩という石で作られていました。結晶片岩は伏原遺跡近辺では手に入れることができない石材ですが,打製石庖丁嶺北地域(吉野川流域)に分布することが知られています。伏原に住んでいた人々は石材を入手して自分たちで作ったものか,あるいは製品を手に入れていたのかははっきりしませんが,地理的にも近い嶺北地域と交流があったこと確かなことです。このように地域に特徴的なモノの動きから人の移動,交流を把握することができます。
(08.4.10)

 今月は下面の遺構を調査しています。4月は雨の日が多く,雨の翌日は水を抜くところから作業が始まります。
 JRを挟んで東側の竹の伐採が終了し,その様子がわかりました。地形的には西から東にむけて徐々に地面の標高は高くなっていきます。竪穴住居跡はJRの際まで確認できましたので,JRより東側の調査区でも見つかる可能性が高く,石製紡錘車居住域がさらに拡がることになりそうです。平成18年度の調査で見つかったものも合わせると竪穴住居跡は20棟以上になります。調査区外へも拡がっていることは確実ですので,全体として少なく見積もっても60棟はあると思われます。竪穴住居跡の多くは,弥生時代後期末〜古墳時代初頭,古墳時代後期のものに大別できます。
 滑石製の紡錘車が出土しました。古墳時代後期(6世紀)のものと思われます。截頭円錐形をしており,鋸歯文が施された優品です。実用品というよりはむしろ祭祀に使用されたものと考えられます。赤色顔料付着叩石東隣に隣接しているひびのきサウジ遺跡からも滑石製の截頭円錐形のものが報告されていますが,無文のようです。
 柱穴から朱が付着した石が見つかりました。細長く持ちやすい形の石です。先端部に赤色顔料がはっきりとわかるくらい付着していました。また,ST9の床面から見つかったピットからも赤色顔料が付着した石器が出土しています。
(08.5.9)

 今月でJRを挟んで西側の調査が終了しました。遺構完掘状態平成18年度の調査分と合わせると竪穴住居跡は25軒見つかっており,遺跡は東西約200m以上の範囲に拡がっていることがわかり,ムラの様子が明らかになりつつあります。
  竪穴住居跡は弥生時代後期末〜古墳時代初頭と古墳時代後期にものに分けることができ,大半は前者に属します。調査成果の一部については記者発表に続き,5月18日に現地説明会を開催し,出土したものなどを見学してもらいました。当日は,約150名の方々が参加してくださいました。
 鉢伏原遺跡の最盛期は遺構・遺物量からみて弥生時代後期末〜古墳時代初頭の時期と考えられます。前後の時期のものはほとんど出土しておらず,ムラが突然に出現し短期間で移動したようです。香長平野では一般的にみられる傾向で,当遺跡も同じ流れの中で営まれたムラだったことがわかりました。
 古墳時代後期では,竪穴住居跡にカマドが作り付けられ,弥生時代後期末〜古墳時代初頭のものとは構造的にも大きく異なります。県内ではその大半が住居跡の北壁に作られており,入り口などを考えるヒントになります。また,古墳時代後期のムラでは周辺の古墳とセットで考える必要があり,首長層が埋葬された古墳をムラの周辺に求めることができます。伏原遺跡の場合では鏡野学園前古墳,小倉山古墳などがその候補になります。土器棺
 JRを挟んで東側でも調査を開始しました。ここからは,弥生時代末〜古墳時代初頭の人が埋葬されたと思われる土器(土器棺)が複数個確認されています。土器棺の中で最も大きいものは幅約80cmを測ります。ここは伏原遺跡の墓域と考えています。(08.6.6)

 竪穴住居跡弥生中期末の竪穴住居跡が見つかりました。今次調査での重要な発見の一つです。中期末はいわゆる凹線文と呼ばれる文様で飾られた土器を作り使われた時期です。伏原遺跡のこれまでの調査でも凹線文を施した土器は見つかっていましたが,遺構が確認されたのは今回が初めてです。このことのよってこの地域の開発が弥生時代中期末まで遡ることが明らかとなりました。この時期は田村遺跡群が急速に拡大し最盛期を迎え,周辺部に新たなムラが作られていく時期にあたります。勾玉伏原遺跡もそのようなムラの一つではないでしょうか。
 
また,弥生時代後期末の遺構から大形の勾玉が見つかりました。全長約5cmあり,弥生時代のものとしては県下最大のものです。石材は肉眼観察による限り蛇紋岩かと思われます。(08.7.23)