マルク・シャガール展 「聖書」 第三期
「聖書」第三期 ~ソロモンの栄華と民族の興亡~
会期: 平成21年7月22日(水)~9月13日(日)
会場: 第1展示室
1910年からパリで活躍していたシャガールは、故郷ロシア、ヴィテブスクに里帰りしていた1914年、折から勃発(ぼっぱつ)した第一次世界大戦のために出国できなくなりました。そしてロシアには革命の嵐が吹き荒れます。シャガールも社会主義政権に巻き込まれ、ヴィテブスクの人民執行委員や新しく設立されたアカデミーの校長などに任命されますが、信仰を否定されたことや同僚たちの相次ぐ背任などで、だんだんと革命に幻滅(げんめつ)していきます。
1922年、最終的にロシア革命を見限ったシャガールは国外脱出を図り、再びパリへ向かいます。旺盛(おうせい)な制作活動を再開したシャガールに、美術界の大立者であった画商ヴォラールは「旧約聖書」に材を取った銅版画による版画集の制作を依頼します。シャガールは民族のアイデンティティを強く意識し、エジプト、パレスチナ、シリアへの取材旅行を敢行、またレンブラントの銅版画の技巧を研究するためオランダにも出かけました。
1939年のヴォラールの急死や、第二次世界大戦の勃発によるアメリカへの亡命などで中断されていた《聖書》は、1956年にようやく完成しますが、その2年後、シャガールはモノクロームの銅版画に水彩で着色を試み、あらためて出版します。当館の所蔵品はこの手彩色によるものです。
全105点からなるこの版画集を、3期に分けて展示しますが、3期目にあたる今回は、「ソロモンとシバの女王」など、ハリウッド史劇でも有名なエピソードが展開されます。ユダヤ民族の聖典に真正面から取り組んだ、シャガール畢生(ひっせい)の大作をご堪能(たんのう)ください。
油彩画
No. |
作 品 名 |
英 名 |
制作年 |
寸法(cm) |
|---|---|---|---|---|
1 |
村の祭り |
The Kermes |
1908 |
68.0×95.0 |
2 |
空を駆けるロバ |
The flying Donkey |
1910 |
55.0×46.4 |
3 |
路上の花束 |
Flowers on the Street |
1935 |
90.2×116.7 |
4 |
花嫁の花束 |
The Bouquet of the Bride |
1934-46 |
81.5×65.5 |
5 |
オルジュヴァルの夜 |
The Night of Orgeval |
1949 |
106.0×64.8 |
版画集《聖書》
初版1958年 Ed. 28/100 エッチング、手彩色
No. |
作 品 名 |
英 名 |
寸法(cm) |
|---|---|---|---|
1 |
オリーブ山を登るダビデ |
David ascending Mount of Olives |
32.2×24.6 |
2 |
アブサロムの最期 |
End of Absalom |
31.0×24.0 |
3 |
アブサロムの死を悼むダビデ |
David mourns Absalom |
31.5×22.5 |
4 |
ダビデの歌 |
Song of David |
31.5×22.7 |
5 |
ダビデに跪くバテシバ |
Bathsheba at David's Feet |
32.4×25.5 |
6 |
ソロモン王の塗油式 |
Anointing of King Solomon |
29.9×24.8 |
7 |
ソロモンの夢 |
Solomon's Dream |
32.0×21.0 |
8 |
ソロモンの裁き |
Judgment of Solomon |
31.8×22.0 |
9 |
ソロモンの祈り |
Prayer of Solomon |
32.7×25.3 |
10 |
シバの女王 |
Queen of Sheba |
32.0×22.0 |
11 |
玉座のソロモン |
Solomon on his Throne |
31.5×23.7 |
12 |
獅子に殺された預言者 |
Prophet killed by Lion |
31.5×21.7 |
13 |
エリアとザレパテの寡婦 |
Elijah and Widow of Sarepta |
28.6×24.5 |
14 |
エリアによって甦った子供 |
Child revived by Elijah |
32.0×24.0 |
15 |
エリアの供物 |
Offering of Elijah |
32.5×25.0 |
16 |
カルメル山のエリア |
Elijah on Mt Carmel |
28.5×24.5 |
17 |
天使に触れられたエリア |
Elijah touched by an Angel |
24.8×26.4 |
18 |
エリアの見神 |
Elijah's Vision |
31.5×24.7 |
19 |
天に昇るエリア |
Elijah carried off to Heaven |
32.0×24.5 |
20 |
エルサレムについての預言 |
Prophecy over Jerusalem |
31.7×24.6 |
21 |
イザヤの見神 |
Vision of Isaiah |
31.5×24.7 |
22 |
メシアの時代 |
Messianic Times |
31.5×25.0 |
23 |
バビロンについての託宣 |
Oracle over Babylon |
31.3×19.5 |
24 |
ヤコブを憐れむ主 |
God will have Pity on Jacob |
31.7×23.4 |
25 |
エルサレムの解放 |
Deliverance of Jerusalem |
31.3×22.3 |
26 |
エルサレムへの約束 |
Promise to Jerusalem |
32.0×22.0 |
27 |
主に導かれる人 |
Man guided by God |
28.0×25.0 |
28 |
エルサレムへの恩寵 |
Salvation for Jerusalem |
29.2×24.9 |
29 |
イザヤの祈り |
Isaiah's Prayer |
32.5×24.5 |
30 |
エレミヤの召令 |
Calling of Jeremiah |
31.8×24.0 |
31 |
エルサレムの捕縛 |
Capture of Jerusalem |
30.7×25.4 |
32 |
地下牢の中のエレミヤ |
Jeremiah in the Pit |
33.0×27.0 |
33 |
エレミヤの嘆き |
Sufferings of Jeremiah |
31.8×25.0 |
34 |
エゼキエルの見神 |
Ezekiel's Vision |
32.3×25.5 |
35 |
エゼキエルの召令 |
Calling of Ezekiel |
32.8×24.8 |
版画集《聖書》はすべて故・大川功氏の寄贈
マルク・シャガール
Marc Chagall (1887-1985)
シャガールはロシア、現在のベラルーシ共和国にある寒村ヴィテブスクの貧しいユダヤ人の家庭に生まれ、帝都ペテルブルグの美術学校で学びました。
1910年から14年までパリに住み、詩人サンドラール、アポリネールらと親交を結びます。キュビスムの空間的効果、ドローネーらの鮮烈な色彩表現に影響を受けましたが、子供の頃の記憶からイメージを引き出し、詩的で豊穣な、シャガールならではの幻想的な様式を展開しました。
1914年、ベルリンの表現主義の牙城シュトゥルム画廊で個展を開催、その後も同画廊と関係を保ち、ドイツ表現主義の運動に影響を与えました。二度にわたる世界大戦の戦火や、ヨーロッパ中を踏みにじったナチ政権によるユダヤ民族迫害、アメリカへの亡命、制作の霊感の源であった愛妻ベラの死去など、さまざまな苦難を乗り越えて画業を深め、世界中の人々に愛と希望を与え続けました。
シャガールは1950年から南仏のヴァンスに定住しました。晩年にいたるまで旺盛な制作意欲を発揮しましたが、1985年に惜しまれつつ死去しました。享年97歳でした。
版画集《聖書》
The Bible, 1958
1922年、ロシアからパリへ向かう途中、シャガールはベルリンに滞在し、版画家シュトゥルックから銅版画の技法を学びます。その後シャガールは画商ヴォラールから「旧約聖書」に材を取った銅版画による版画集の制作を依頼されます。自らのアイデンティティを強く意識したユダヤ人シャガールは、エジプト、パレスチナ、シリアへ取材旅行を敢行し、またレンブラントの技巧を研究するためオランダにも出かけました。
《聖書》はヴォラールが急死した1939年の段階で66点制作されていましたが、第二次世界大戦の勃発や自身のアメリカへの亡命などで中断され、再び着手されたのは1952年になってからでした。版画集は1956年に完成しますが、2年後、シャガールはモノクロームの銅版画に水彩で着色を試み、出版します。高知県立美術館の所蔵品はこの手彩色版です。
■特別出品:シャガールと同時代の画家たち
No. |
作家名 |
作品名 |
制作年 |
寸法 |
技法 |
|---|---|---|---|---|---|
1 |
ハインリヒ・カンペンドンク |
少女と白鳥 Girl and Swan |
1919 |
69.0×99.3 |
カンヴァスに油彩 |
2 |
コンラート・フェリックスミュラー |
ジョルジェット・メーア Georgett Maire |
1921 |
80.0×80.5 |
カンヴァスに油彩 |
3 |
ジョージ・グロッス |
緑衣のロッテ Lotte in green |
1926 |
93.0×72.5 |
カンヴァスに油彩 |
ハインリヒ・カンペンドンク
Heinrich Campendonk (1889-1957)
クレーフェルトに生まれる。同地の美術工芸学校でステンドグラスの技法を学ぶ。次いでオスナブリュックで画家の助手となる。11年、フランツ・マルクの誘いに応じてバイエルン州のズィンデルスドルフに移住、そこでカンディンスキー、クレーらと知り合う。同年12月、ミュンヒェンの「青い騎手」展に参加、翌年にはベルリンでの「第1回ドイツ秋季サロン展」に出品。14年から16年まで兵役につき、その後シュタルンベルク湖畔のゼースハウプトに移住。22年にはクレーフェルトの劇場で舞台美術を担当、翌年エッセンの美術工芸学校で教職に就く。26年にはデュッセルドルフの州立美術アカデミーの教授となり、33年にナチ政権によって免職されるまでここで教壇に立つ。その後ほどなくして亡命し、34年はベルギーに滞在、次いで翌年にはアムステルダムの国立造形芸術アカデミーの教授として招かれる。46年から再びドイツで仕事をする。アムステルダムで没。
ジョージ・グロッス
George Grosz (1893-1959)
ベルリンに生まれる。ドレスデンで美術教育を受ける。風刺的な雑誌《快楽草子》、《Ulk》などでカリカチュア(戯画)を描く。第一次世界大戦の末期にはダダイストの仲間に加わり、未来派の影響を受ける。1923年頃から様式を軟化させ、「新即物主義」への傾向を見せはじめる。33年、アート・スチューデンツ・リーグの勧誘により、長らく定住していたベルリンを去り、ニューヨークに移住、教職に就く。37年にアメリカの市民権を取得。その一方、ドイツ本国では「退廃芸術家」の烙印を押され、38年には国籍を剥奪される。制作の後期では主にアレゴリカルな表現を好んだ。戦後、故郷ベルリンに帰還してまもなく死去。
コンラート・フェリックスミュラー
Konrad Felixmüller (1897-1977)
ドレスデンに生まれる。ドレスデンのアカデミーに学ぶ。第一次世界大戦中はベルリンの先鋭的な芸術雑誌『シュトゥルム』に協力。また1916年にはシュトゥルムの画廊で個展を開催し、同年、急進的な雑誌『アクツィオーン』に寄稿。17年「表現主義労働者共同体ドレスデン」の設立に参加、またドイツ表現主義の中心的なグループであった「ブリュッケ」の画家たちと展覧会を開催。戦後は18年に左翼的芸術家集団「11月グループ」に参加。翌年ドイツ共産党に入党、またドレスデン分離派「グループ1919」を結成。ここでオットー・ディックスに銅版画技法を伝授した。20年からルール地方に長期滞在して鉱山労働者の状況を取材。表現主義者のなかでも左翼的志向が強く、作品は労働者の悲惨な実態を伝えている。34年ベルリンに移り、戦後は旧東ドイツの社会主義体制のもと、温厚なリアリスムの画家として活躍し、同地で没。
KoMPal会員(年会費5,000円)、年間観覧券所持者(2,500円)は、無料でご覧いただけます。













