1841年、医師・楢崎将作の長女として京都に生まれる。1866年、寺田屋襲撃の際に龍馬に急を知らせたる。その後結婚。二人で行った鹿児島への旅が、日本で最初の新婚旅行といわれている。1867年、龍馬の死後は一時坂本家に世話になっていた。土佐を出る際は、龍馬からの書簡を燃やし処分している。のちに西村松兵衛と再婚。1906年、横須賀で死去(66歳)。墓は神奈川県横須賀市の信楽寺にある。
【お龍に関する龍馬書簡】
・慶応元年9月9日、乙女・おやべ宛の龍馬書簡・・・「まことにおもしろき女」「今の名ハ龍と申、私しニにており候」
・慶応2年12月4日、乙女宛の龍馬書簡・・・「今年正月廿三日夜のなんにあいし時も此龍女おればこそ、龍馬の命ハたすかりたり」
・慶応3年5月28日、お龍宛の龍馬書簡・・・この1通だけ残っており、龍馬が暗殺された近江屋の「井口家文書」から発見され、京都国立博物館に寄贈されている。
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