
高知県立坂本龍馬記念館編集発行による、児童・生徒向けの本「坂本龍馬を知っちゅう?−資料で調べる33年−」が発行されました。本書によって龍馬がわかり、歴史の面白さや理解を深め、学習の仕方のヒントを見つけていただければ幸いです。
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龍馬の家族
坂本龍馬は、兄一人、姉三人の五人きょうだいの末っ子に
生まれ、子どものころは泣き虫でした。男の子がこれではい
けないと、弱虫の龍馬を剣道や水泳できたえたのがお姉さん
です。こうして龍馬はだんだんと、たくましくなっていきました。
高知では、城下町の日根野(ひねの)道場で、江戸へ出て
からは千葉道場で熱心に修行をつんだので、後には、剣の
「達人」といわれるほどになりました。
龍馬の年表


龍馬の歴史
龍馬が、江戸で剣術修行にはげんでいたころ、アメリカから四せきの黒船が浦賀にやってきて、開国
(鎖国をやめて外国と貿易などすること)をせまったので、日本中が大さわぎになりました。
その後、幕府の力がおとろえるにつれて、長州藩(山口県)を中心に「尊王攘夷(そんのうじょうい)」の
運動がおこり、土佐藩(高知県)でも、土佐勤王党(とさきんのうとう)がつくられ、龍馬もこれにくわわり
ました。
勝海舟(かつかいしゅう)は1860年、太平洋を横断して、実際にアメリカを見てき
た人です。そして、「外国のすすんだ知識や技術を取り入れて、早く強い国にならな
ければいけない。幕府だとか、藩だとかではなくて、日本をどうするかを考えなくて
はだめだ。」と言いました。龍馬は、話を聞いているいるうちに、これから自分が何
をしなければならないか、教えられたように思い、勝海舟に弟子入りしたのでした。
龍馬は勝海舟の海軍塾の塾頭にもなりました。その後、海軍塾や海軍操練所で
身につけた航海術をいかして、長崎に商業と海運業の仕事をする会社「亀山社中」
(のちの海援隊)をつくりました。1865年のことです。
幕府の力が弱まるにつれて、倒幕の動きが高まって
きました。龍馬と中岡慎太郎は、倒幕のためには、力
の強い長州藩と薩摩藩が仲なおりをして手を結ばなけ
ればならないと考えて、けんめいの努力のすえ、つい
に薩長同盟(さっちょうどうめい)をつくりあげました。
1866年のことです。
新しい時代に向かって、日本の歴史は、薩長同盟を軸
にしながら、大きく動きはじめるのです。
後藤象二郎(ごとうしょうじろう)は、長崎から大阪に
向かう藩船「夕顔丸」の中で、新しい日本をつくるために、これからどうしたらよいかについて、龍馬の
考えをききました。
龍馬は、多くの人に出会い、意見を聞き、自分で考えたことを、大政奉還(たいせいほうかん)など、
八項目にまとめて提案しました。「船中八策(せんちゅうはっさく)」といわれるものです。
土佐藩の山内容堂(やまうちようどう)はこの考えを取り入れて建白書にまとめ、第15代将軍、徳川
慶喜(とくがわよしのぶ)に出しました。
そして、1867年10月13日、将軍は、京都二条城に各藩の代表を集めて、大政奉還をきめました。
龍馬の手紙

