・高松小埜(順蔵)山水画 (真物)
龍馬も親しくしていた(おそらく敬意を持っていた)高松順蔵の画。
千鶴と順蔵は直行の曾祖父母。
|
・慶応3年11月13日・陸奥宗光宛(真物) 最後の手紙 |
・慶応3年3月6日・印藤聿宛(真物) 京都大学附属図書館所蔵
長府藩士・印藤聿宛の手紙。
龍馬は脱藩して、勝海舟の弟子となった頃から、北海道の開拓を夢見ていたが、
実現できなかった。
この手紙の第四段には、龍馬の開拓に対する熱い思いがつづられている。
【第四段】(現代語訳)
「私は蝦夷に渡ろうとしていた頃より、新しい国を開くことは以前からずっと思って
いたことで、一生を懸ける思いです。何としても、一人でもやり遂げるつもりです。
そんな中、伊藤助太夫は格別、私の志を憐み、
且つ、以前からの思いもあり、屈することなく秘かに応援してくれています。
そして、先日長崎で大洲藩の蒸気船を、三月十五日より四月一日までの間に借
り入れの条約をお互い定めました。ゆえに、近日その期日も来ます。」
|
・慶応3年11月10日・林謙三宛(複製) 高知県立歴史民俗資料館所蔵
蝦夷開拓の船調達失敗 |
・慶応3年11月11日・林謙三宛(複製) 高知県立歴史民俗資料館所蔵
蝦夷開拓を諦めない |
・高松千鶴書簡・安政3年秋頃(複製) 京都国立博物館所蔵
「自分に気を付けないと今は気を付けてくれる人はない」と母のない19歳下の弟
を気遣う書簡
|
・寺田屋お登勢写真・直寛裏書き(複写) 坂本ツル氏寄贈 当館所蔵 |
・慶応3年4月7日・乙女宛(真物) 中村綱子氏寄託 海援隊長就任=土佐藩復帰 |
・慶応3年10月18日・望月清平宛(真物) 身の危険を知り新しい宿を頼む
|
・海援隊約規(真物) 弘松家(高知市)所蔵 ※現在当館が長期預かりの中の資料
海援隊の仕事内容明記=運輸・開拓・射利・投機・土佐藩の応援
|
・慶応元年9月9日・乙女、おやべ宛(複製) 京都国立博物館所蔵
冒頭の近況報告に「望月は死にたり」とある。望月は蝦夷へ視察に行った人物で、
池田屋事件で死亡。龍馬は池田屋事件直前に黒龍丸を調達し、望月等を先頭に
蝦夷行きの計画を立てていた。先導死亡で断念。
書簡中には、高松家との親密さが分かる内容がある。 |
・慶応2年12月4日・乙女宛(複製) 京都国立博物館所蔵 新婚旅行の手紙 |